インタビュー 2025.07.28
極貧家庭から東大、三井物産、そして起業へ。【株式会社フェニックス】中村勇太代表が描く日本経済再生のロードマップとは?

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    東大卒業後、三井物産に入社し、海外での事業経営を経験した中村勇太さんが2025年1月に創業した「株式会社フェニックス」。

    自らを「新時代の総合商社」と定義し、事業戦略策定や経営管理支援などのバリューアップ領域を始めとして、AIやデータ分析といったDX領域、そしてM&A支援からプロジェクトマネジメントまで、多岐にわたるコンサルティングを手がけています。

    海外駐在中に、自身の生まれ育った国「日本」の世界経済におけるプレゼンスが弱まっていることに危機感を覚えたという中村代表に、フェニックス創業に至るまでの経緯や将来目指す姿、創業1年目から新卒採用に挑む理由についてお話を伺いました。

     

    〈プロフィール〉

    株式会社フェニックス 代表取締役社長 中村 勇太
    東京大学法学部卒業。新卒で三井物産に入社し、米国子会社で事業経営を経験。米国駐在中に日本の国際的プレゼンスが低下していることを痛感し、「日本を代表する企業集団となり、日本経済を甦らせる」を経営理念に株式会社フェニックスを創業。事業開発のプロフェッショナルが集まる「ビジネスインキュベーター」として事業規模を急速に拡大中。

     

     

    少年期の原体験から芽生えた反骨心。

    ―――フェニックス創業に至るまでに、少年期の経験が大きな影響を与えているとお伺いしました。詳しく教えていただけますでしょうか。

     

    中村さん(以下敬称略):はい。私は兵庫県神戸市の貧しい家庭に、4人兄弟の長男として生まれ育ちました。父は零細企業を経営していましたが、当時は仕事もあまりなく、深夜バイトもしながら食い繋ぐような日々で、家族でファミレスに食事に行くことすらままなりませんでした。

     

    ただ小学校の頃から勉強だけは得意で、通っていた小学校でもずば抜けて頭が良く、いわゆる神童でした(笑)。とはいえ学区自体が荒れた地域でしたし、その中で一番頭が良くても大したことはないと思っていました。ところが小学校3年生の時に、神戸市全体の学力調査のためのテストがあり、その中でも成績が上位だったことで、改めて自分は勉強が得意なんだと自覚し始めました。

     

    ある日、学校からの帰り道に「俺は地元の中学には行かずに大学まで試験なしで行ける中学校を受験する」と、ある同級生が話してくれて。私は中学受験という世界があることすら知りませんでしたが、その子より勉強はできたので、それなら自分にも絶対できるはずだと

    家に帰ってすぐに両親に「中学受験をしたいから塾に通わせてくれ」と頼みこみました。いわゆる有名進学塾に通うお金はなかったので、地元で一番学費が安かった塾になんとか通わせてもらい、関西有数の進学校に合格できました。

     

    その中学校には医者の息子や、テレビ局や銀行に勤めるエリートサラリーマンの息子など、いわゆる“お坊ちゃん”がたくさんいて。ある日、そのうちの一人の子の家に招かれたんですが…。

     

    ―――そこでカルチャーショックを受けたと。

     

    そうです。芦屋の高級住宅街に嘘みたいに大きな家があって、駐車場にはベンツが2台。リビングだけで私の実家全体より広かったと思います(笑)。

    当時は地デジへの移行期ということもあり、SHARPの「世界の亀山モデル」という薄型液晶テレビのCMが毎日のようにテレビで流れていて、子どもながらに憧れていました。その「世界の亀山モデル」がその子に家のリビングにどーんと置かれていて。「うわ、あの世界の亀山モデルや!」と思って、ふと横を見たら隣の掘りごたつがある和室にもう一台「世界の亀山モデル」が置かれていて(笑)。

     

    今でこそ笑い話かもしれませんが、当時の自分にとっては衝撃的な出来事でした。自分の家にはブラウン管のテレビしかなく、親にねだっても「買えるわけないやろ」と一蹴された憧れのモノが、当たり前のように鎮座していて。同じような学力で同じ学校に通っているはずなのに、生まれ育ちでこんなに変わってしまうのかと、言葉にし難い、色々な感情が渦巻きました。

    ただその時に「将来自分は成功する。絶対に成り上がってやる」という想いが生まれました。それは今でも忘れられない原体験になっていると思います。

     

    ―――少年期に得た反骨心が原動力になっている訳ですね。

     

    もともと負けず嫌いな性格で、人と同じことをするだけでは面白くないと思っていました。大学受験の時には周囲は医学部か京都大学を志望する人が多かったので、自分は東京大学に行こうと決めました。その上、受験勉強を理由に2年生で部活を辞める人が多かったのですが、自分は3年生の夏までしっかり野球部も続けた上で東大に合格するんだと。

    当時は周りから「お前は絶対1日が24時間以上ある。部活も勉強もやれるほど時間がある訳ない」なんて茶化されましたが、自分にわざと負荷をかけることで、それをモチベーションにしてきましたね。

    日本が「存在感のない国」になる危機感。

    ―――その後実際に東大に合格され、三井物産へ就職されましたが、なぜ商社を選ばれたのでしょうか。

     

    その頃にはぼんやりと将来的に起業したいなという想いがあり、とはいえ今すぐこれをやりたいというものもなかったので、ビジネスについて広く学べるところが良いなと。その意味で商売の学校として自分の実力を磨くためには総合商社が最適だと思いました。

     

    ―――入社後はどのような業務を経験されたのでしょうか。

     

    最初の3年半は本店で、国内・海外の関係会社管理や新規投資案件のファイナンス面などを担当していました。その後、米国にある化学品メーカーの子会社に駐在し、経営企画全般を経験しました。当時その子会社は業績が悪化しており、事業再生フェーズだったので、とにかくがむしゃらにやれることは何でもやりました。自宅から片道10時間近くかかる西海岸の工場に毎月1~2週間出張していたことや、新剤の買収案件で朝から晩まで働いたのはいい経験になっています。自画自賛で恐縮ですが、赴任当初のタイトルから現地で2段階昇進して帰国したのはなかなか頑張ったのではないかと思っています(笑)。

     

    ―――フェニックスを創業するまでの経緯としてアメリカ駐在期間の経験が大きな理由になったそうですね。

     

    そうですね。初めて海外に住み、自分が日本人であることを強く意識させられました。住んでいたところも日本人が多い地域ではなかったので、周囲の人たちからも珍しがられ、よくホームパーティーに招かれていたんです。

     

    ただそこで話題になったのは「日本って一度は行ってみたい国だよね」と日本への旅行や食事の話ばかりで。当時はアメリカと中国の貿易摩擦の話がテレビニュースになるなど、同じアジアの中国は経済的に注目されていた一方で、日本経済の話なんて欠片も出てこなかったんです。

    当時は円安が進行していたので、アメリカ人にとって「今ならお得に行ける旅行先」という程度の認識でした。

     

    数字上は経済大国であり、先進国であるはずの日本が、世界経済の中では存在感が薄れてしまっている。その事実を突きつけられたようで衝撃的でした。このままだと日本経済はずっと落ちていってしまうと。

     

     

    ―――その危機感が起業に繋がってくる訳ですね。

     

    幼い頃からの「成功したい」という想いと、日本経済の先行きの暗さへの想いが重なり、より自分で事業をやってみたいという気持ちは強くなっていましたね。米国駐在から2年ほど経ち、子会社の事業再生も概ね軌道に乗ってきた時期で、自分の中でも「やれることは概ねやった」と感じていたタイミングでした。

     

    その頃にちょうど大学の先輩で、親交があった知人と会う機会がありました。別に会う前に何か言われていた訳ではないのですが、「一緒に会社をやろう」と言われるのではないかなと霊感が働いて(笑)。

    もしそう言われたら「やる」と即答しようとだけ考えていました。そうしたら会った瞬間に「一緒に会社をやりませんか」と言われ、鳥肌が立ちながらも食い気味に「やりましょう」と答えていました。いびつな形をした2つのモノがピタッとはまるように、お互いの想いがバチっと噛み合った瞬間だったと思います。

     

    とはいえ、当時の駐在先で事業再生を完全に軌道に乗せるには少しやり残したこともあったので、1年待ってもらいました。その間に事業内容やどんな会社を創りたいかを徹底的に議論し、お互いの考えをしっかりとすり合わせられたことが、創業Day 1からの黒字経営、そしてその後の爆発的な成長に繋がっていると思います。

    日本を代表する企業集団へ。

    ―――では株式会社フェニックスの事業について教えていただけますか。

     

    2025年1月に創業して2025年7月現在で社員は10名ですが、私も含め事業経験が豊富な役員が揃っています。その役員陣の下、自ら新たな事業を創り上げて大きく成長させていく「ビジネスインキュベーター」として日々仕事に打ち込んでいます。我々はかつて明治維新期に日本を創り上げていった三井や三菱、第二次世界大戦後の焼け野原から日本を再生させたソニーやホンダといった、世界に通用する企業集団となることを目指しており、最終的に我々がそうなることが日本経済を甦らせることに繋がると信じています。

    ―――学生目線からすると壮大な話にも感じてしまうかもしれません。

     

    そうかもしれません。もう少し掘り下げると、私はファイナンス領域やプロジェクトマネジメントが得意ですし、AIやデータ分析に長けている役員もいます。ただそれはあくまで一つのツールとしての得意分野であって、その根幹にはやはり「事業そのもの」を創りたいという想いが共通していると思います。

     

    自分の得意なことを活かしつつコンサルティングとして伴走することもあれば、実際に自分たちで事業を立ち上げることもあり、ゆくゆくは事業会社に投資して我々の手でバリューアップしていきたいと考えています。

    手段や分野にこだわることなく、とにかく純粋に事業をやりたいという人たちが集まっていると思います。

     

    ―――ある意味、何でもできる訳ですね。

     

    そうですね。能力があればどんな分野の事業でも取り組めますし、事業に合わせて人材をアサインすることもあります。

    事業ができる人が増えれば横の広がりが出ますし、事業ごとに紐づく人たちがそれぞれの事業を成長させることで縦にも広がっていく訳です。これからも最速で横と縦に会社を大きくしていきたいですね。

    会社のカルチャーをともに形成できる人へ。

    ―――コンサルティング経験が豊富な人材や、事業分野に合わせた専門家や経営層を外部から招集することでスピーディに事業も拡大できますよね。逆に言えば、新卒採用の必要がないとも言えると思うのですが…。

     

    確かに目先のことだけを考えたら必要ないかもしれません。実際、中途採用の人たちが今作っているビジネスをしっかり立ち上げてくれていますしね。

    ただ一方で、私は会社のカルチャーは新卒が作っていくものだと考えています。新卒の人たちはスキル的には社会人経験がある人たちと比べれば劣るのは当然です。しかし、新卒の人たちは会社のビジョンに共感して入社してくれる人が多いわけです。そんな新卒の人たちが、2年後3年後に会社の中心として活躍してくれることで、良い雰囲気や仕事に対する熱量、温度感を醸成し、それが定着していく。そういった一面に期待していますね。第一、必要な能力はこれから努力さえすれば身につけることができますから。

     

    ―――なるほど。企業としての一体感をもたらしてくれる存在な訳ですね。

     

    そうですね。だから成長速度はゆっくりでもいいので、上司や先輩のアドバイスをまっすぐ受け止め、チームとして同じ方向を向いてアツく仕事に取り組んでくれる人と働き、一緒に会社を創っていきたい。いずれは自分もひとつの事業を任せられるくらい力をつけたいと思っている人たちに入社してほしいですね。

     

    ―――ありがとうございました。

     

    ありがとうございました。

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